学園紹介

理事長 挨拶

理事長 禿 了修

美(うるわ)しい世をひらく灯(ともしび)となるために

福井仁愛学園は、1898(明治31)年に、「婦人仁愛会教園」として創立して以来120年余に亘り、「仁愛兼済」の建学の精神のもと、社会のために役立つことを悦びとすることができる人材の育成に努めてまいりました。

学園名の「仁愛」は、広く支えあって生きる人間の在り方を意味する「仁」と人間のみでなくすべてのいのちの共生と敬愛の思いを意味する「愛」です。学園創立の理念である「仁愛兼済」とは、この仁と愛の心を自分の生き方の基盤とし、世のため人のために役立つことを悦びとする聖徳太子の精神です。

福井仁愛学園では、この建学の精神に基づき、大学院、大学、女子短期大学、女子高等学校、幼稚園を設置して、時代の要請に応えつつ、地域の発展を支える多くの卒業生・卒園児を輩出してきました。

今後とも全教職員が連携し、受け継がれてきた建学の精神をもとに、人間力豊かな人材育成に更なる努力を続けてまいります。

建学の精神

仁愛兼済

沿革

明治29年(1896) 禿了教・すみ親子、大阪府南河内郡太子町の聖徳太子廟に参拝。太子の人間教育の理念に共鳴し、福井の地に学校創設を決意。
明治31年(1898)4月 福井市毛矢町に婦人仁愛会教園(修業年限3年)を創立
明治31年(1898)11月 福井市宝永4丁目(現在の仁愛女子高等学校所在地)に移転
大正13年(1924)1月 高等女学校令により福井仁愛高等女学校(修業年限4年)を設立
昭和20年(1945)7月 福井空襲により全校施設焼失
昭和23年(1948)6月 福井震災により再び施設倒壊
昭和26年(1951)3月 私立学校法による学校法人福井仁愛学園発足
昭和28年(1953)4月 高等学校に専攻科設置(短大設置の端緒となる)
昭和40年(1965)4月 福井市(旧森田町)天池町に仁愛女子短期大学開学
昭和41年(1966)4月 仁愛女子短期大学附属幼稚園開園
昭和57年(1982)4月 越前市(旧武生市)大手町に仁愛女子短期大学武生キャンパス開設
平成10年(1998)10月 学園創立100周年記念式典を挙行
平成13年(2001)4月 武生キャンパスに仁愛大学(人間学部)開学
平成17年(2005)4月 仁愛大学に大学院人間学研究科開設
平成18年(2006)2月 理事長に禿了修就任
平成20年(2008)10月 学園創立110周年記念式典を挙行
平成21年(2009)4月 仁愛大学に人間生活学部開設
平成23年(2011) 10月 仁愛大学 開学10周年記念式典を挙行
平成25年(2013)5月 仁愛女子高等学校 改築、新体育館が完成
平成27年(2015)10月 仁愛女子短期大学 開学50周年記念式典を挙行
平成29年(2017)3月 仁愛女子短期大学附属幼稚園 改築。開園50周年記念式典を挙行

創立者(禿 了教・すみ親子)

(左から)禿 了教・禿 すみ

禿 了教(1854年~1937年)

ヨーロッパ視察を通して日本と欧米の宗教事情の違いを目の当たりにし、日本の宗教教育の不十分さを痛感。明治31年に「いのちのつながりを重んじ、美しい世をひらく灯となろう」を教育理念に、現在の仁愛女子高等学校の前身となる「婦人仁愛会教園」を設立。聖徳太子の和の精神に基づいた教育を展開し、仁愛学園の基礎をつくりあげた。

禿 すみ(1876年~1950年)

「女子に学問は必要ない」という社会風潮の中、同志社女学校に入学。卒業後、父の禿了教とともに仁愛学園を創立。以後、「生徒がわが子」と女子教育にその生涯を捧げた。すみが11歳の時、「男なら学問をしてもよいが、女だからだめだと言われるから」と、自ら髪を切って生涯男子として学ぶ決意を示した、いわゆる「断髪事件」のエピソードが残っている。

学園章・コミュニケーションマーク

学園章

本学園の学園章は六片の松葉で「仁愛」を囲む形となっています。常緑の松葉は古くより希望と不屈の取組みの象徴とされており、また六片としているのは、行い、言葉、心のもち方などの調和を大切にする仏教の「六和敬」の精神によるものです。

コミュニケーションマーク

一番上の円は聖徳太子の「和」の精神を象徴しています。その下の3本の曲線は、世のため人のため役立とうとする実践(和敬・精進・反省)を表すとともに、未来に向かって飛躍する若人の姿を表現しています。

概要

      
法人名 学校法人福井仁愛学園
創立 明治31年(1898)
設立 昭和26年(1951)
理事長 禿 了修
所在地 〒910-0124 福井県福井市天池町43-1-1(仁愛女子短期大学内)
電話番号 0776-56-1133(代表)
URLhttp://jin-ai.jp